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甲子園の大舞台、1年生で4番打者を任されたスラッガーたち

目次

高校球児が夢見る甲子園という夢舞台

甲子園は高校球児の夢舞台。
高校3年間厳しい練習を耐え、最後の夏。
負けたら3年生は引退の為、このメンバーでできる最後の大会です。

高校3年間は中学時代より、より体も大きくなり成長する時期で、やはり高校3年生と1年生では、少し体格や技術にも差を感じるように思います。しかし、中には3年生に劣らないがっしりと鍛えられた体、力強いスイングや投球をする1年生もいます。
その中でも夏の甲子園に出場し、1年生で4番打者を任された選手を数名紹介します。

1、PL学園の「KKコンビ」

清原和博と桑田真澄


PL学園 清原和博
桑田真澄、清原和博の頭文字をとったKKコンビで知られるPL学園は1983年〜1985年の3年間で5季連続甲子園出場。
桑田は1年生からエース。
そして、清原は1年生で4番。
1年生の夏の甲子園、序盤こそはノーヒットが続いたが、決勝戦では甲子園初ホームラン。
そしてPL学園を優勝へと導きました。

2、肥後のベーブルース・村上宗隆


九州学院 村上宗隆
夏の熊本県大会初戦、初回の満塁本塁打を含む、3安打4打点の活躍。決勝戦でも2安打1打点の活躍で熊本県大会優勝に貢献しました。
甲子園は1年夏に4番で望んで以来、出場は叶いませんでした。同世代には早稲田実業 清宮幸太郎(現日本ハム)や履正社 安田尚憲(現ロッテ)などスラッガーが豊富です。

3、マッチョマンと呼ばれる前の、敦賀気比 吉田正尚


敦賀気比 吉田正尚
173センチという野球選手では少し小柄な体格だが、それを感じさせないほどのフルスイングが最大の魅力である。
1年夏の甲子園では4番で出場。当時はまだ体も細く、マッチョマンと呼ばれている今とはまるで別人のよう。

しかし、パワーは当時からすごく、打撃練習では打球が速すぎてファーストの鎖骨が折れたりとチームメイトもファーストは譲りあって避けるほど彼の打球は物凄かったようです。

やはり怪物級の選手は高校1年生からすでにスターの素質を秘めているように思います。そしてプロの世界でひとまわりもふたまわりも大きくなり日本を代表する選手へと成長していきます。

今後、甲子園で1年生4番打者がいたら将来、日の丸を背負う選手になっているかもしれません。今後も高校球児の熱い熱戦から目が離せません。

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